この、バカチンがぁ~!

さんたな

2011年01月23日 22:22

昭和39年生まれの私が、まだ中学3年生だった頃…、

母親と私が、テレビのチャンネルを争っていた一時期がありました。
時間は金曜日の夜8時。私は10チャンネル、母親は6チャンネル。
(※正確なチャンネルは覚えておりません。現在の関東圏のアナログチャンネルで表記しております)

私は、当時全盛の“燃える闘魂”を週一回の楽しみに…、
母親は、当時の私と同学年のクラスが舞台の、ある学園ドラマを見るために…。

その頃の「ワールドプロレスリング」は、タイガーマスク(もちろん初代!)が未だ登場しておらず、
なぜか自然に主導権は母親に奪われ、
いつしか私もその学園ドラマを見ることが多くなってきた記憶があります。


博多出身の30歳の独身教師。
男なのに…、それもお世辞にも似合うとはいえない異様なロングヘアー。



石原裕次郎とアントニオ猪木の勝負に割って入ったこの風体の上がらない男…、

そのドラマの主人公である先生が、今年、定年を迎えるそうです…。


「顔はヤメな、ボディ、ボディ」…、

あっ、間違えました。
これは、今は参議院の方のセンセーになった人の台詞でした。


もとい、



『3年B組金八先生ファイナル』(仮)


今回は「私…、昔のドラマ大好きです!」の特別編です…。

真実を明かすと…、

当時中3の私は、このドラマあんまり好きではありませんでした。


でも、今は…、
見るたびに泣かずにはいられないほど…、大好きなドラマです…!


思えば、故郷で見ていた第一回シリーズの放送は、自分自身と同学年だということであっても、
自分の通う学校と、ドラマの荒川区とはいえ都会の学校とはあまりにも違いすぎ…、

なんか上手く表現できませんが、母親ほど感情移入できなかったんですよねぇ…。

たのきんトリオっていっても、男の私にはあまり関係ありませんでしたし…。
まあ、どちらかといえば、まだ第2シリーズの方が面白かったような気がします。

その後、第2回のあとは、とんと金八先生にはお目にかかることがなくなっておりました。

以来、私の知らない金八では、いろんなことが起きていたようです。

保健体育の先生(猪木の元奥さん!)と結婚したり死別したり、
第一シリーズでの有名な“十五歳の母”の時の子供がまた教え子になったり、
シブガキ隊のフックンの子(母親は第一回の生徒の土屋なんとかさん)が生徒役で出演したり、
金八先生の子供達が中→高→大→社会人になっていたり、
まさか長男が親父の学校に教育実習に来ていたなんて…。

そもそも、あれから第八回までシリーズが続いていたなんて…。


ところが…、2年前ほどでした。

例によってCSのTBSチャンネルで、
偶然にも第五回シリーズ(ジャニーズの亀梨とやらが出ていたそうです)を見かけまして…。

久しぶりに見た金八先生の印象が、以前とはまったく違うものに…。

これで、完全に引き込まれました…。

もちろん、続けて放送された第6回(上戸彩デビュー!)、第7回、第8回シリーズを一気に…、
と言いたいところですが…。

実は第5回シリーズの途中から放送を待っていられなくなり、
レンタルDVDで最後のシリーズまで一気に制覇してしまいました!

もちろん、どのシリーズにも、
「家庭内暴力」「他動性障害」「性同一性障害」
「報道と人権」「薬物の低年齢化」「援助交際」「学校裏サイト」
など
時代や世相を映す重要なテーマがあり、見所も満載ですが、詳しくは割愛します。

確かに年齢と共に涙もろくなってきたこともありますが、
とにかくワサビてんこ盛りの握りのロシアンルーレットに当たってしまったみたいに
鼻に“ツーン”とくることが多すぎです。


ただ単に、番組の一部だけを抽出しても判りづらいとは思いますが…、






このソーラン節にたどり着くまで、どれほどの困難と苦悩があったのか…、とか、


いわゆる、最終回の定番になっていたようですが、
生徒全員にそれぞれへの金八からの“贈る言葉”…。

各シリーズのこのシーンを見るたびに、
ティッシュの消費量が急上昇してしまうようになってしまいました。

そういえば、なぜこれほどまでに印象が変わったのか?って
説明していませんでしたね。

ひとことで言えば、私も感情移入ができるようになったのです…。

言わずもがな、もちろん同世代の子を持つ親として…。

考えてみれば15歳で第一回シリーズに遭遇した私も、
当時の自分と同い年の息子がいるのですから…。

最後に、ひとこと…。

一番最初の、若き日の金八先生…、
なんか、変だと思いませんか?

判った人いますかね…?


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